飯山

■飯山は川鳥方面から見ると確かに名峰富士山の山容とそっくりである。だか ら八幡の先人達は飯山を備後富士,八幡富士と称し、こよなく愛してきたと言 えよう。内藤正作詞の「八幡村歌」においても「雲に聳ゆる備後富士 平和の 姿うるはしく 萬代かけてかはらぬを 玉とかしづく人心」と高らかに詠んで いる。

■ だが肝心の富士山は火山活動で出来た山で、どこから見ても雄大なすそ野を 持った美しい独立峰である。いっぽう飯山は東の竹森方面から見ると、白滝山 から平岩をへて飯山までなだらかではあるが連峰を形成しているのが分かる。 飯山は道後山、猫山、白滝山とほぼ一直線に並んでいるが、何れも地下深くで、 ゆっくりと固まった塩基性の火成岩類で出来ている。飯山は斑糲岩や輝緑岩で 出来ており、輝緑岩は磨くと青くみえるので地元では青石と云ってきた。地下 深くから隆起してきた岩体が次第に浸食されて、現在の姿になったものと考え られる。

■ もちろん頂上部からすそ野にかけての美しい緩傾斜面の上には、長い地史の 間に三瓶山などの火山灰が積もったり、氷河時代の浸食活動を受けたりし出来 た。 道後山方面から飯山を見ると、屏風のようにそびえ立つ飯山とそれより一段 低い吉備高原面が続いているのがよく見える。八幡が吉備高原の始まりである ことがよく分かる。 また飯山の麓である川鳥・保田は帝釈川の源流域であり、そのたゆみない水 流が帝釈川の渓谷を作ったのである。

■標高 1009m
■飯山山頂の三角点そばに大きな石碑がある。龍王神と刻んである。これは明 治9年の大干ばつ時に17日間にわたる神官、僧侶による祈祷と千把火を焚い た記念の石碑である。 土用の炎天下、五十人で担ぎ、五十人が縄で引っ張り ながら小出居から出発し、清水から飯山道を登り、途中から内道を登り曽根に 上がる。それから曽根伝いに飯山の山頂に着いたという。記録には「・・此ノ 珍行列ハ後世再ビ見ル能ハザル奇観トシテ村民ノ語リ伝フル所ナリ」と結んで いる。