3世紀後半 〜7世紀 (古墳時代) | 古墳時代の遺跡 【森】殿迫谷古墳(2基)・槇ケ峠古墳(3基)・市場古墳・長畝古墳・坊主古墳・次石古墳・迫ケ谷古墳・大足山古墳・市場遺跡 【川鳥】大足山古墳・上五十石古墳・朴ノ木古墳・池の奥尻古墳 【保田】保田古墳・荒神谷古墳・垣内古墳 【田黒】是安山古墳 【菅】上菅古墳・篠古墳・下菅古墳 【受原】受原古墳 |
1324年 (正中1) | 菅の国司神社が創建されたという。 |
1332年頃 (元弘年間) | 森の白鬚神社が創建されたという。 |
1352年 (天平7・文和1) | 川鳥の八幡神社が創建されたという。 |
1376年 (天授2・永和2) | 保田の八幡神社が創建されたという。 |
1396年 (応永3) | 森の菅原神社が創建されたという。 |
1457年 (長禄1) | 宮下野守正盛が父教元の菩提のため菅の徳雲寺を建立、僧覚隠を開山とし、寺領350石を寄進したという。 |
1470年 (文明2) | 受原の八幡神社が創建されたという。 |
1473年 (文明5) | 田黒の国司神社が創建されたという。 |
1559年 (永禄2) | 受原八幡神社炎上。 |
1592年 (天正20・文禄1) | 徳雲寺9世僧拍翁が森の雲龍寺をひらいたという。 |
1594年 (文禄3) | (4月10日)徳雲寺大伽藍消失。 |
1613年 (慶長18) | (12月27日)徳雲寺火災で焼失。 |
1733年 (享保18) | この年「寅年がしん」。大飢饉、百姓一揆が各地でおこる。 森村の野尻の小左衛門、川除の藤武の両名、強訴の発頭人として捕えられる。 (のち藤武は赦免されたが、小左衛門は死罪となる。) |
1738年 (元文3) | (3月20日)徳雲寺諸堂全焼する。 |
1753年 (宝暦3) | (4月)川鳥の八幡神社に森村の藤武が石鳥居を寄進する。 (9月)菅の国司神社に石鳥居が寄進される。 |
1767年 (明和4) | 森・中島家文書の中に、この年に書かれた神楽の「能番附」(能本)がある。 |
1776年 (安永5) | 森・中島家文書の中に、この年に書かれた神楽の「鳶屋名峠名荒神神楽神数受引控覚帳」がある。 |
1780年 (安永9) | 森・中島家に、この年に書かれた神楽の神殿の立札が現存している。 |
1817年 (文化14) | 森・中島家文書の中に、この年に書かれた神楽の「兼清名荒神神楽入用物帳」がある。 |
1818年 (文政1) | 森・中島家文書の中に、この年に書かれた神楽の「茶屋名荒神神楽覚帳」がある。 |
1847年 (弘化4) | 森・中島家文書の中に、この年に書かれた神楽の「湯谷名荒神神楽役割覚帳」がある。 |
1859年 (安政6) | 森・中島家文書の中に、この年に書かれた神楽の「五行神配頭之事」(農本)がある。 |
1869 年 (明治2) | 「巳の敏がしん」 凶年半作、年貢を納めれば皆無の状態となる。森村の庄屋友永里右衛門、麦植付のため稲を無断で刈り取らせたため、郡吏の怒りをかい、貢祖の徴収過酷をきわめる。一丁田力右衛門は窮状を藩に直訴、庄屋里右衛門、長百姓武八郎連座して捕えられる。 |
1871年 (明治4) | (8月4日)前広島藩主・浅野長訓夫妻の東京移住に際し、これの阻止を陳情して武一騒動が起こる。 (11月4日)全県下の農民一揆に発展し、各地で公的機関・村役人宅・豪農・豪商宅など打ち壊される。ついに軍隊が出動して鎮圧する。森脇武一ら9名死刑となる。 (奴可郡へは三上郡から県民が押し寄せ、まず西城を破壊、川鳥に入り三草の細川健三郎宅で暴力をふるい、続いて竹森の名越弥三郎宅で乱暴、東城に入って暴れた。) |
1872年 (明治5) | 行政区画改定。 第14区(奴可郡) 第2小区 大佐村、平子村、始終村、未渡村、宇山村 第4小区 高尾村、小奴可村、森村、加谷村、田黒村 第5小区 田殿村、保田村、山中村、川鳥村、菅村 第6小区 受原村、塩原村、粟田村、森脇村、竹森村 第7小区 上千鳥村、下千鳥村、内堀村、所尾村、小串村 第8小区 東城町、川西村、戸宇村、久代村、川東村、福代村 |
1874年 (明治7) | (8月1日)三草に川鳥郵便取扱所が開設される。 (9月)受原学校として進徳舎が開設される。 |
1875年 (明治8) | (2 月)菅学校として徳雲寺に養源舎が開設される。 (7月)川鳥・保田学校として川鳥に有隣舎が開設される。 |
1876年 (明治9) | (1月1日)森小学校が開設される。 |
1881年 (明治14) | (1月)受原小学校と竹森小学校を合併し、竹森小学森受原分校と改称。 (8月)川鳥小学校新校舎落成。 (12月1日)田殿村を廃止し、森村に合併。 |
1882年 (明治15) | (1月)竹森小学校受原分校を廃し、竹森小学校に合併する。 |
1887年 (明治20) | 森尋常小学校が改称発足し、校舎3棟落成。 川鳥小学校教場を川鳥簡易小学校と改称する。 |
1889年 (明治22) | 市町村制施行、八幡村発足。 八幡村(川鳥三草に村役場をおく)、川鳥村、保田村、森村、田黒村、菅村、受原村が合併。 |
1891年 (明治24) | (4月)川鳥簡易小学校菅文教場を菅尋常小学校と改称する。 |
1892年 (明治25) | (7月1日)森尋常小学校を森尋常高等小学校に改称する。 |
1895年 (明治28) | 菅尋常小学校の校舎が新築落成。 |
1896年 (明治29) | 森尋常高等小学校に八幡農業補修学校併設する。 |
1898年 (明治31) | 郡制施行により、三上、奴可、恵蘇の3郡合併し、比婆郡と称する。 |
1912年 (明治45・ 大正1) | 川鳥尋常小学校の校舎改築落成。 |
1923年 (大正12) | 菅尋常小学校に菅農業補修学校を付設。 |
1925年 (大正14) | 川鳥小学校の創立50年記念碑建立。 (11月20日)川鳥郵便局の局舎を新築移転。 |
1926年 (大正15・ 昭和1) | (7月1日)八幡村内の3公民学校に青年訓練所を併設。 |
1928年 (昭和3) | (10月)森小学校の校地を小字市場に移転し、校舎改築。 |
1933年 (昭和8) | 八幡村内3公民学校の研究科(青年訓練所)および女子部を森公民学校に統一して教育する。 (12月)八幡村役場を森の槇カ峠に移す。 |
1935年 (昭和10) | 八幡村公民学校及び八幡青年訓練所を廃止、八幡青年学校開設。 |
1939年 (昭和14) | 森小学校の2階建校舎1棟増築落成、青年学校が使用。 |
1942年 (昭和17) | 広島県八幡村自治五十年志。 |
1945年 (昭和20) | (9月)八幡青年学校廃止。 |
1947年 (昭和22) | (4月1日)各国民学校は小学校と改称。 (4月15日)八幡村立八幡中学校を森小学校校舎を使用して創立。 |
1950年 (昭和25) | (12月8日)八幡中学校、八幡村130-2に新校舎落成。 |
1952年 (昭和27) | 八幡中学校運動場完成。 |
1955年 (昭和30)
| 東城町・小奴可村・八幡村・田森村・帝釈村・久代村および新坂村の一部が合併して新東城町発足。 |
1956年 (昭和31) | 八幡中学校講堂落成。 川鳥小学校校舎改築落成。 |
1958年 (昭和33) | 東城、小奴可、八幡、田森、帝釈、久代、新坂に公民館設置。 |
1959年 (昭和34) | (4月)菅・竹森各小学校が統合して菅竹小学校設立。 (12月25 日)菅竹小学校新校舎落成。 |
1960年 (昭和35) | 八幡中学校給食調理室落成。 |
1962年 (昭和37) | 川鳥小学校屋体落成。 (7月)徳雲寺に郷土館開設。 |
1963年 (昭和38) | 菅竹小学校屋体兼行動落成。 八幡中学校、戸宇小学校特別教室完成。 |
1964年 (昭和39) | 森・川鳥・菅竹幼稚園が八幡幼稚園として財団法人八幡会経営で発足。 川鳥局舎、大字森に新築移転。 |
1966年 (昭和41) | 菅竹小学校校歌制定。 |
1968年 (昭和43) | 菅竹小学校10周年記念。 |
1969年 (昭和44) | 八幡地区水泳プール完成。 国道314号線が指定される。(東城〜木次間) |
1970年 (昭和45) | 森、川鳥両幼稚園合併。 東城町北部(塩原、井河内、田黒、森、内名など)に集中豪雨。死者7名、家屋など被害額14億円。 白滝山にNHKと民放の小奴可テレビ中継局開設。 |
1971年 (昭和46) | 小奴可・川鳥・帝釈地域集団電話開通。 八幡保育所を僻地保育所として開設。(定員30名) ヒバ荒神神楽が国の選択民族芸能に指定。 |
1972年 (昭和47) | 東城町・東城町東・八幡の3農協が合併し、東城町農業協同組合発足。 国民保険八幡診療所廃止。 |
1973年 (昭和48) | 菅竹小学校、米飯給食開始。 |
1974年 (昭和49) | 各小学校に養護教諭配置。 川鳥郵便局100年記念行事挙行。 東城町農協ライスセンター(八幡)竣工式。 |
1975年 (昭和50) | 川鳥小学校100周年記念祭、記念碑建立。 |
1976年 (昭和51) | 川鳥電話交換局開局。 |
1977年 (昭和52) | 森小学校創立100周年記念。 八幡中学校校庭に夜間照明施設設置。 東城町農協貯金オンライン開設。(本所、小奴可、八幡、田森) |
1978年 (昭和53) | 八幡小学校校舎落成。森、川鳥小学校統合され八幡小学校発足。 徳雲寺に240年目にして鐘楼堂を建立。 川鳥4区集会所、コミュニティーホーム整備事業で改修。 |
1979年 (昭和54) | 比婆荒神神楽が国の重要無形文化財の指定を受ける。 八幡保育所が町立八幡保育所として定員60名で開設。 八幡小学校屋体新築。 |